腹斬り抜刀斎こと、ぽん豆です。

私の過去は

私のお腹の十字傷だけが知っている(そんなことはない)


「るろうに剣心」風に言ってみました笑

今回の記事 結構長いです。

長くなっちゃいました…

まだまだ書きたいので パート2に続きます。



最初に手術をしたのは

入院して2〜4日くらいで生検?とやら

縦に長い傷ができた。

それが1つ目の傷。


肝臓癌を摘出した手術

最初の傷に上書きするように 縦の傷

そして新しくついた横の傷。

こうして腹の十字傷ができたのだ。(やはり流浪に剣心風)



そして左の鎖骨の下あたりに

1年半もの間 入れっぱなしだった カテーテルの抜いた痕

右の横っ腹には

腹部ドレーンが入っていた痕が2つ


ぽん豆にとってその傷は大切なもの

日記より 鮮明に 闘病を思い出す事ができるからね。


それぞれの傷のエピソードを今から書きます。


1つ目の傷。

初めての手術だった私

とても怖がりだったため 麻酔の説明だけで

ぶっ飛びそうだった。

手術前日に 「傷の無いお腹とも今日でお別れかぁ」と

静かに自分のお腹を撫でたのを今でもはっきりくっきり覚えている。

麻酔は手術終了してすぐに覚めた。

ドクターが「あら もう起きたの」というくらい

お腹がぐるぐると縫われて

すごく悲しくなった。「私、病気なんだ。」と 今更のように

外科の先生が抜糸をしてくれた時 痛みは尋常じゃなかった。

「ぽん豆ちゃん 糸取ったよ」

その声が私の闘病生活始まりの合図だった。

当時は 母親に「肝臓が疲れているから。ちょっと入院しようね」

と言われていたので 頑張っていた。まさか癌だとは。


2つ目の傷

Tを逆にした傷が へその上から痛々しく残っている。

14時間の手術だった。手術が決まった時

ついに来てしまった。いや やっと来た。と…

腫瘍摘出で全て開放されるという嬉しさと

手術中死ぬかもしれない。((いや それならまだマシか…))

術後 肝臓の摘出により 体の不具合で死ぬかもしれない。

という恐怖で震えた。ブログでは明るく、(実際も明るく振舞っていたが)

そうでもしないと気が狂う。

手術前日は下剤を飲まされ 浣腸。

まずい下剤を500ml 一気に飲まされた。(1度や2度ではなかったはず)
(ポカリスエットをめっちゃまずくした感じ)

下剤を飲まされ、当然のごとく下痢に

そして下剤がまずいので吐き気に襲われた。

そんな中で看護師が浣腸を持ってきた時には

「術前に死んでまうわ」と思った。


(それからポカリスエットが飲めなくなりました…笑)


下痢オンパレードの時 心理の先生(いつもお話ししに来てくれる先生)

が来た。「ぽんちゃん 明日だねぇ。」

私は横たわりながら 「死なないかなぁ。」

「大丈夫。ぽんちゃんは強いから。」

「そっか…また会えるといいね。」

「会えるよ。待ってるからね。」

「うん。また会おう。」

そんな会話を繰り返し、泣いた。

その夜も母と病院の狭いベットに一緒に横になりながら

「お母さんと眠れるのは今日で最後かな。やだな」

と言ったら、「そんなこと言わないの!最後な訳ない!最後じゃない!」

と、 物凄い剣幕だった。

そして当日、手術室に運ばれ うわんうわん泣いた

「麻酔かけられたらもう目覚めないかもしれない。やだ、麻酔やだ」

と言うと 麻酔科医の女の先生がずっと手をつないでいてくれた。

手をつないでいるとホッとして落ち着いた。そこから記憶がない。


目覚めた時 白い天井が見えた。

誰の声だろう…わからない わからないけど

『私 生きてる。』

安心したら意識がなくなった。

次に起きたのは心電図の音と太陽の光

ピコ ピコ ピコ…

息ができない。吐きそう。どうして?

自分の体を確認する事もできない。

原因はいくつもの管とドレーンだ。

そして体の左側が痺れて動かない麻痺だろうか。

口と鼻には管が、ずっと喉の奥に指を入れられているような

気持ちの悪さ。「オェッ」とえずく事さえも

傷口が開きそうで できなかった。えずいてしまった時には激痛が走る。

声にならない声で『取って下さい…くるしいです』と 言ったのを覚えている。


そんな苦しみから連れ出してくれたのは いつも モルヒネだった。

眠ってしまえば 幸せだと。モルヒネを打てば夢さえみない。



抗ガン剤の副作用に耐える自分

髪の毛が無いことを、病棟の子供にバカにされる自分

腹水でお腹が腫れあがっていく自分(最後は爆発した。)

そんな夢ばかりみていたのだから

夢を見ずに眠ることができるだけで嬉しかった。

夢の中だけでも元気でいたかったのに…

自分を裏切り続ける夢を断ち切り 眠ることができる モルヒネに

あの当時は少し依存していたと思う。


ICUの中で 私はこれまでに無い死の恐怖を味わった。

隣にいた男の人の苦しむ声

そのまた向こうのおじいちゃんが辛さのあまり叫ぶ声

自分が唸る声も…

誰が誰だかわからなかった。恐ろしかった


心拍と呼吸の異常はすぐ心電図が知らせる


『ビーンボン…ビーンボン…ビーンボン』

その音が鳴るたびに 私は目を覚ました

その音が自分の物では無いことを確認し 眠る。

自分の心電図が鳴った時 人生で一番怖かった

そんな中でも 傷口は疼き ひどく痛んだ。

寝返りも打てない、笑う事も、叫ぶ事も、苦しみを訴える事も

できなくしてしまう傷口が憎くてしょうがなかった。


モルヒネが切れて 痛み苦しんだ。

「それでも生きている。」

生と死の淵、狭間、境界線で

自分は今、確実に生きているのだ! と

傷口が痛むたび 生きている事を実感した。


傷口が痛まなくなった時 私は死んだんだ。と


私は生きている!

痛い…生きている…痛い…生きている…!!!

生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる…




憎い憎い大きなお腹の傷口が私の命を繋いでいたのだ。




やっとICUから抜け出し 小児外科病棟に戻ると

24時間テレビを母が見せてくれた。

顔だけテレビの方へ向けると

大好きな森三中の大島さんがマラソンに挑戦しているところだった。

いつもテレビで笑っている大島さんが とても苦しそうで 心配したけど

大島さんが頑張っているから!と 、

自分も 痛みと苦しみを解決してくれる時の流れの中で 懸命に走った。

ずっと時計の針を見つめ お腹の傷と心の傷が癒えるのを待った。

術後の1週間は 今の私の1年に等しいくらい長かった。


やっとお腹のステイプラーの針をぬいてもらえることになった時は

嬉しくてたまらなかった。

医療用ホッチキスで等間隔に止められた 私のお腹は まるでフランケンシュタイン

ドクターが2人がかりで両端から針を抜いてくれた。

右側はベテランの先生が、左側は新米の先生が


左側だけがとても痛かったのを覚えている笑

「〇〇先生!ちょっと痛い〜」

「うわぁあ ごめん!慣れてないからぁ」

「もう少しゆっくりお願いします!」

「そうそうそう そんな感じで残りも〜」


少しは私のお腹で練習できたかな?

結構な量の針で止められていたから上達したはずだ〜

針が抜けて すぐ小児科病棟に移され
まだ傷口が完全に癒えぬうち

さらなる 抗ガン剤治療 9クールが言い渡された

(合計14クール 化学療法をしたのは 日本でぽん豆が初だそうです。)

医者はこう言った

「明日から抗ガン剤始めます。」

「いや、もう少し早く言ってよ…」

術後あんなに長かった1日があっという間だった。

ケモ当日になり、いつもの様に恐ろしい吐き気。

吐くたびに お腹が引き裂かれる様な痛みに襲われた。

「ああああああああああ」

痛みに逆らって ありったけの声で叫んだ。

傷口に対する怒りしかなかった

やけになって わざと大袈裟に吐いた

何度も何度も 気が狂った中毒者の様に

「オエェ、オエェ、オエェ、オエェ」

息継ぎの間がないほどの速さで

何度も何度も、ベッドの上のたらいに頭突きをしながら

「オエェオエェオエェオエェ」

「なんでこんな頑張らないといけないんだ。こうなったのも自分のせいだ

苦しめ自分。苦しめ。苦しめ。苦しめ。」

こうしてわざと傷口を痛めつけ

一通り吐いた後は 傷口の痛みでベットの上をのたうちまわった。

それでも私は 大袈裟に吐くのをやめなかった。

胃の中を空っぽにしたって一向に引かない吐き気と

邪魔をし続ける大きな傷口の痛み、苦しさに耐えることができない自分への怒り


全てを自分にぶつけた。もっと痛めつけてやる…痛いだろう。痛いだろう?

どうだ、どうだ。これでもかこれでもか。叫び 吐き続けた。

隣を見ると母が泣いていた。訳がわからない なぜ泣いている?

苦しいのは私なのに何故私より先に泣いているの?

うっ…母をなかせたのは私だ。クソッ。ばかやろう。痛みが足りないんだ!


自分にやつあたりすることで 現実逃避をして満足していた。








抗ガン剤と闘病生活は人を狂わせる。

全て本当の話。

患者が一方的におかしくなったとか、わがままになったとか そんな事はありえない。

がん治療は人格を変えてしまう物だ。

立ち直れないほど病んでいた時

優しい看護師さん 薬剤師さん 心理士さん 栄養士さん

のおかげで少しずつ 心の傷が癒えていった。

がんを取り除くだけが、がん治療ではないと思う。

がんを取り除いてくれた外科の先生方
抗ガン剤治療を支えてくれた小児科の先生方
辛い時いつも側にいてくれた看護師の方々
相談に乗ってくれた心理士の先生
少しでも副作用、飲みにくさが改善されないかと
試行錯誤してくださった薬剤師さん
私の栄養バランスをいつも考えてくれた栄養士さん

あげていったらきりがないけれど…

全ての方々のおかげで 私はこうして生きている。

心も体も元気になって初めて、癌が治ったと言えるだろう。




私は癌が治った。

………………………✂︎………………………………

私のお腹の傷を指でなぞるだけで

鳥肌とともに 闘病の記憶が蘇る

決して忘れてはいけない経験 出来事。

醜い傷口は

大切な日記帳であり勲章であり誇りだ。

この傷がある限り 強く歩み続けられるだろう。


後編へ続く

(いや!まだ続くんかい!w)


《原稿用紙くれたらいくらでも書くよ〜
書きたいこといっぱいありすぎるよ〜》

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プロフィール

ぽん豆☆

Author:ぽん豆☆
小児がん(肝未分化肉腫)ステージ4と戦闘…そして
勝利(⌯¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)و ̑̑ グッ !
小6女子!(現在中学3年生)

今は闘病後の経過など書いてます♪
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